手術、受験失敗、失恋ー底力の礎、学生時代

順風満帆の受験生活スタート

私の受験談は高校二年生の時から始まります。

この頃私は青春していました。部活も勉強も何もかも。その当時は彼女がいて、純粋で単純な僕は彼女に良いところを見せようと、あらゆることに真剣に取り組んでいました。大会で結果を出して全校集会でかっこいい姿を見せたいという思いで部活に熱心に取り組み、勉強もできれば文武両道!ということで、勉学もしっかりしていました。

この一見すれば単純すぎるモチベーションは僕にとって、とても大きな力を発揮させたんです。勉学では学年で一ケタに入るくらいにまでなりました。自分でも驚くくらい成績が伸び始めるようになって、次第にこのように考えるようになったんですね。

「もっと勉強すればすげぇ大学入れんじゃね?」

高校三年生を迎え、部活の最後の大会で結果を残すべく、勉強より部活に熱中しました。有望な1年生も入ってきて、個人的にも団体的にも強くなり、最後の大会を迎えたんです。

結果は、団体はそこそこ、個人は惨敗。先生も期待してくれたのに、期待に応えられなかった。

団体が終わった途端、涙が止まらなかったです。ずっと泣いていました。最後のミーティングが始まっても、僕は泣いていました。部長であったのに、長いミーティングが終わっても泣き続け、その日は目を真っ赤にし、ふらふらになりながら一人で帰りました。

僕はその時泣きすぎたせいか、その次の日からは完全に切り替えが出来ていました。悔しい気持ちがあったかもしれないけど、全く後悔の念はなかったんですね。そのおかげで夏休みの間もめちゃめちゃ集中して勉強することがで出来ました。その成果で、夏休み明けの記述模試では240人いる学年で文系1位に。全体でも3位になることができたんです。

しかし悪夢はこれからだったんですね。。。

受験シーズン真っ只中!陥った負のスパイラル

九月くらいになり、マーク模試を受けました。順位はよく覚えていませんが、悪かった。

「あれっおかしいぞ。1位とったのに(;’∀’)」

でも二次対策に大きく時間を割いていたこともあったので、気にはしないようにしていました。今考えると、あの二次対策が辛すぎました。
秋田の公立の某有名大学の二次の小論文は自分にとって異常にムズイ。もともと中身が単純でかっすかすなので、担当の先生に何回も同じ例題で提出を求められました。小論というのは未だによく分からりませんが、その時は余計に空回りばかりしていました。考えているのに、考えているのに、、、、、、

こんなことをしている間に、皆はセンター対策をして、当然マーク模試の偏差値をあげてくるわけなんですね。一方で僕のほうは、効率も悪く、成果の見えない二次対策に時間を割いていました。結果はあまりにも顕著に現れました。10.11月と学校でも塾でもたくさんの模試を受けました。その結果・・・

受けるごとに成績は上がるものも、偏差値が下がり続けた。学校の順位も。

僕はそりゃ焦るわけです。やばいやばいやばいやばい!!!!

最初の入りが良すぎたんですかね。受けるたびに偏差値が下がるというのは精神的ダメージがやばかったです。しかも勉強時間は増えているのに、それに反比例するように成績が下がっては心がボロボロになる。

そんな負のスパイラルから抜け出せないまま、正念場の1月に突入しました。まじめだった私は元旦から一切休みませんでした。今振り返れば、この真面目さが少し問題だったのかもしれません。もう心がぼろぼろなのに勉強したって頭に入らないんですよね。不安な気持ちや焦りを『ぐっと』こらえて、最後のラストスパートに備える。

この時期はどうしてもマークテストの点数が上がらず、相当苦しんでいました。窮地にいた私は出来る限りのことをしようと、いろんなものに手を出したりしていたんですよね。そしてその私をさらなる絶望に陥らせることが起きたのです。

試験直前、巣食う病巣

―1月12日 夜10時―

センター試験5日前、早めのお風呂を終え、いつものように勉強に取り掛かろうとしたその時、

うっ!!!

急に胸のところが苦しくなり、息をするのも苦しくなったのです。もがき苦しんだ私は、いったん横になると痛みが和らいだので、今日は体の調子がおかしいな、とそのまま眠ってしまいました。次の日、やはり心臓か肺の部分に違和感があり、なんかぽっかり穴が開いているような感じがしました。

―1月13日 夕方4時―

学校を終え、いつものように塾に向かっていると、突然胸のところに激痛が!危機を感じるくらいだったので、すぐに父に連絡し、近くの病院に行きました。診断結果は、、、

「肺に穴があいてますね。しかも肺が小さくなっているし。これはすぐに処置したほうがいいですね。」

僕「えっどういうことですか?」
医者「おそらく肺気胸ですね。すぐに手術しないと肺がつぶれてしまいますね。」

流れるように手術入院することが決まり、学校へ報告しに行きました。応援してくれている先生に会うのがすんごいつらい自分と、先生に優しい言葉をかけてほしかった自分がいました。僕はもう崩壊しそうでした。泣きじゃくりたかった。

成績で伸び悩んでいるのを十分知っている先生に報告しに行き、僕は先生に対して強気でした。強がったんです。センターまであと5日というところまで来て、弱気を言っていられないって。先生にも、「皆に迷惑かけたくないので、僕は風を引いたとでも言っといてください」と伝えました。ホントは皆に優しくてあったかい言葉をかけてほしかった。彼女にもこのことは言いませんでした。というか言えなかったし、言いたくなかった。彼女も難関大を目指しており、自分の事で気を散らしてほしくなかったんです。

もう、もう、ホントにその時はドロドロでした。もう頭の中がいっぱい。全て一人で抱え込んで。

―1月14日 手術の日―

手術は無事うまくいき、肺に管を入れてもらい息をするのが楽になりました。でも直接肌に管を入れられているので、チューブがねじれる度に激痛が走りました。その状態でも一応ペンは絶えず走らせていました。

―1月16日 退院―

センター試験二日前に退院し、学校へ。
皆の顔を見る度に涙がこみ上げてきたが、ぐっとこらえていつもと同じように振る舞いました。その時は友達に自分の話を聞いてもらいたかったし、優しい声をかけてもらいたかった。ホントにホントに、、、

でもなんでか強がってしまう。皆に迷惑をかけたくないしって。やけくそのプライドですね。
―1月 18、19日 ―

運命のセンター試験当日。

もう正直あんまり覚えてないんです。あまりにも辛くて記憶から消えたのかも。でもね、全然うまくいかなかった気がしました。試験を終え、ふらふらのまま塾へ行き、答え合わせをしなければならなかった。答え合わせなんてずっとしたくなかったのに。。結果は二教科を除いて過去最低。

もう、、、採点が終わってから塾を出て、家に帰るまでの事を思い出すと、今でも涙が出そうになります。塾にはたくさんの人がいました。切磋琢磨していた仲間。ずっとお世話になった先生。後輩やいつも話聞いてくれた先輩。みんなそこにはいました。誰とも話せなかった。目も合わせられなかった。

もちろんその日は涙が枯れるまで泣きました。色んな想いがあったんだと思います。

その後、二年間思い続けた秋田の大学の二次試験を受けました。手ごたえはありました!でも結果はだめだめでした。というか結果は丸見えだった。センター試験であれだけ失敗すると、合格の可能性は0%に近い。

秋田の大学は公立だったため、関東の国公立大学を第一志望として受けていました。それも一発逆転にかけるしかなかったんです。手ごたえは微妙。もちろん結果は、不合格。第二志望は地方の国公立を受けました。結果は、合格。

素直にうれしかったです。順調だった頃はバカにしていた大学でしたが、いざ合格の文字を見たときは、心の底からうれしかった

僕は浪人しませんでした。もう一年受験生やったらマジで死んでしまうと思ったし、それくらいボロボロだった。だから受かったところに行くと決心していました。大学生活に不安はあったけど、ボロボロの中挑んだ受験勉強に後悔の念は微塵もなかった。反省点はいっぱいあったけどね。

受験戦争、その後。

僕の場合ここで終わらなくてね、その時、私は周りの信用全て失った気がしたんです。

「頭のいいけい君が○大」みたいに。切磋琢磨した仲間からも「えっお前そこは受かると思ってたのに、○大!?」みたいな。つらい。辛すぎ。

しかも彼女は難関大に無事合格。僕は素直にめっちゃお祝いしましたよ、もちろん。そしてぼろぼろな状態で彼女を祝福しようと電話をしました。そこでまさかまさかの事でした。

「私たち別れよう。好きでいられる自信ないんだ」

確かに受験でいっぱい一杯で全然遊んでやれなかったけど。会う時間も作れなかったけど。振られた。

二年間思い憧れた大学。二年間思いを寄せた彼女。

耐え抜いた私の心の叫び虚しく、一日にして崩れ去ってしまったんです。


普通こういう話って最後に逆転!みたいに終わるけど、僕の話はこれで終わりです。

僕はこの受験を通して、第一志望合格は得られませんでした。でもね僕は受験を通して、ハートは半端なく強くなりました!だから今こうやって大学生活を充実させ、独立して起業しているわけです。

受験失敗っていうのは明らかなことですし、もう変わらない事実だけど、それを今後にどう生かすかはその人次第なんですよね。合格していたら楽しい学校生活があったかもしれないけど、悔しい思いがなかったら今こんだけ楽しめていないかもしれない。今こうして充実した生活が出来る力は、受験失敗や失恋をあれだけ悔いたことによって培われてきたのです。

過去の事は変えられないけど、そのことがどんな思い出になるかは、現状で決まるんじゃないでしょうか?僕は、あんなに過酷だった受験話を、笑い話に変えて、自分でも笑えるんですよね。僕は今を生きているわけで、今の僕は最高にキラキラしてると言えるんです。

過去の失敗を失敗のままにせず、糧にするためにも、今の自分で勝負しましょうよ。

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